今市宿八福神の歴史
History
七福神の信仰は室町時代末期ごろ京都に始まったと伝えられていますが、今市宿七福神は平成11(1999)年に始まりました。今市の七福神信仰は古くから伝えられており、瀧尾神社には、「恵比寿」・「大黒天」・「弁財天」が、如来寺には「弁財天」が祀られていました。
日光造成以前から今市宿では市(いち)が開かれ、問屋など商い所が増え、商売繁盛を市神(いちがみ)様や恵比寿、豊作を大黒天、財福を弁財天に祈願し、平成10年市内在住の彫刻家が現存しない七福神御神体を市民の幸福を祈願し彫刻いたしました。
以前は、毎年2月(第1土曜日)(旧正月に近い土曜日)を開催日として定めて、歩く健康づくりとして今市七福神めぐりを実施していました。(現在は通年参拝可能)
ここ今市宿は、現在の日光の大部分にて農村復興に携わり、多くの住民を飢饉から救済した二宮尊徳(金次郎)の終焉の地であり、報徳二宮神社に学問、経営、財福の神として祀られております。令和5年より従来の今市七福神から今市八福神として名称を変更いたしました。
八は末広がりの縁起を担ぎ四方八方巡っていただきたいという寺社の願いがこめられております。